"人々の必要に触れることから始まる伝道"
- hosanaministry

- 2025年12月26日
- 読了時間: 5分

先日、沖縄のサンライズミニストリーで配信されたハル・メイヤー師のメッセージを視聴しました。
その終盤で語られていた「コミュニティーにおける伝道」という言葉を聞いたとき、私は深くうなずかずにはいられませんでした。
なぜなら、そこで語られていた内容は、まさに今、私が日常の中で行っていることそのものだと感じたからです。
キリストの伝道は、まず「必要に触れる」ことから始まりました。目的は、永遠の命に導くためだったのです。
ハル・メイヤー牧師は、コミュニティー伝道とは、
「まず人々の必要を満たし、信頼関係を築き、その後で真理を分かち合うこと」
だと語っていました。
これは決して新しい伝道方法ではありません。
むしろ、イエス・キリストご自身がなさった方法です。
イエスは、まず病人を癒し、空腹な者に食を与え、孤独な者のそばに立たれました。
説教の前に、教理の説明の前に、人としての痛みや必要に触れられたのです。
⚫️私がしていることも、伝道なのだと気づかされた
私はこれまで、自分のしている活動を
「これは伝道なのだろうか?」
と考えることがありました。
食を提供すること、人が集える場を整えること、
地域の困りごとに耳を傾けること。
一見すると、それは「社会活動」や「地域貢献」に見えるかもしれません。
しかし、ハル・メイヤー師の言葉を聞きながら、私は確信しました。
これは、間違いなく伝道の一部なのだと。
なぜなら、そこには
人を大切にする心
神が創られた尊厳への敬意
条件なしの愛が流れているからです。
⚫️真理は、関係の中でこそ伝わる
人は、正しさだけでは動きません。論理だけでも、教理だけでも、心は開かれません。
信頼され、受け入れられ、「この人は私のことを大切にしてくれている」と感じたとき、初めて人は耳を傾けます。
コミュニティー伝道とは、
「教える前に、共に生きること」なのだと思います。
そしてそれは、特別な才能や大きな舞台がなくても、日々の生活の中で、誰にでもできる伝道です。
⚫️神は、静かな働きを用いられる
派手な奇跡や、大きな集会だけが神の御業ではありません。
台所で、食卓で、地域の一角で、静かに行われる愛の行為を、神は確かに用いられます。
今回のメッセージを通して、私は改めて、
「今、与えられている場所で、与えられている形で忠実に歩めばよい」という確信を与えられました。
人々の必要に触れることから始まる伝道。
それこそが、キリストの方法であり、
これからの時代に、ますます必要とされる証しなのだと思います。
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ー信仰は、待つものではなく、生きて働くものー
*教会にある「勘違い」について
教会の中には、しばしば一つの勘違いが見られます。
それは、ピラミッド型の信仰です。
つまり、
「牧師からの指示を待つ」
「教会が何かを始めるまで動かない」
「許可が出たら従う」
という姿勢です。
しかし、聖書が示している信仰は、そのような受け身のものではありません。
⚫️真の信仰は、神との直接的な関係から生まれる
私たちは、牧師との関係によって救われるのではありません。
教会組織との関係でもありません。
神ご自身との関係によって生かされているのです。
もし本当に、
「神を賛美したい」
「神のみ名のために、私を用いてください」
「人々の命がかかっています。一つの魂でもお救い下さい」
という願いと動機が心の中心にあるなら、信仰は必ず行動へと促されます。
それは命令されて起こる行動ではなく、内側から自然に湧き上がるものです。
⚫️地域を見渡してください
少し、視線を教会の外に向けてみてください。地域には、声にならない必要が溢れています。
孤独な人、助けを求めることを諦めた人、日々の生活に疲れ切っている人。
もし私たちが、
「自分は何のために生かされているのか」
を本当に理解しているなら、
地域の人々のために働きたいという思いが、必ず湧き上がるはずです。
それはプログラムではなく、伝道計画でもなく、神の愛に触れた者の自然な応答です。
⚫️救いに関するもう一つの勘違い
もう一つ、深刻な誤解があります。
それは、
「安息日に教会へ行っていれば救われる」という考えです。
確かに、第四条の戒めを守ることは重要です。しかし、心が伴わない律法遵守は、神を喜ばせません。
教会では立派な兄弟でも、家に帰れば、妻を見下し、暴言を吐き、愛のない態度を取る人もいます。
それで本当に、神の品性が表されていると言えるでしょうか。
⚫️形だけの伝道は、道を開かない
伝道も同じです。形だけの伝道、義務感だけの伝道、成果や評価を求める伝道は、
人の心を開くことはありません。
すべてが神への賛美につながっているか、
そこに利己的な野心はないか、本当に利他的な働きになっているか。
神は、動機を見られます。
⚫️神は、愛の動機から出た働きを用いられる
人に見せるためではなく、教会のためでもなく、自分の満足のためでもなく。
ただ、
「神を愛している」
「人を愛している」
その思いから出た小さな行動を、神は確かに用いられます。
信仰とは、教会で完結するものではありません。
生活の中で息づき、地域の中で形を取り、神の御名を高く掲げるものです。
それこそが、生きた信仰であり、真の伝道なのだと思います。
⚫️祈りの力、賛美の力
キリストの聖霊の働きを求めて下さい。
主を賛美することの喜びを体験して下さい。
それは、継続するパワーを与えてくださるのです。
私は、毎晩の1時間の祈りをやめられません。その祈りの中で、アイデアを下さったり、気づきを
与えられます。神との濃密な対話の時間を持つことは素晴らしいです‼️
アーメン‼️
アクセスありがとうございます。
祝福と憐れみがありますように。

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