ヘブル書の聖所とイエス‼️信仰の錨
- hosanaministry

- 9月7日
- 読了時間: 8分
更新日:9月7日

人の書いた本を読むのもいいですが、聖書には唯一ヘブル書にのみ、天の聖所のことが書かれています。
自分で学び、信仰を深めたいと願います。
パウロは、ヘブル書で、なぜ天の聖所のことを書かなければならなかったのか、という点があります。
スタディバイブルの序論に、詳しく書かれていました。
ユダヤ系クリスチャンには、問題がありました。それは、
『祭りを続け、犠牲させえも捧げていました。彼らは、尚も礼典律に熱心であった。(使徒15章)それで、彼らは天の聖所におけるキリストのみ業といった概念はほとんど持っていなかった。カルバリーでの大いなる犠牲のゆえに彼らの犠牲は無効になったことを、彼らは十分に理解しなかった。・・・・ユダヤ系クリスチャンの目が、天の現実に対して開かれるべき時が来ていた。』
つまり強烈な選民意識から来る伝統から抜け出ることができなかったのです。しかしパウロによって、天の現実に対して目が開かれると、どんな良い点があるのでしょうか。この書簡が書かれたのは、西暦63年でした。彼らの神殿が破壊されるのは、その7年後です。西暦70年の恐ろしいエルサレムの崩壊を目前としていました。
『彼らの宮が破壊された時、彼らの信仰を、確実でしっかりしたものに据える必要があった。・・・』
彼らのアイデンティティーとも言える煌びやかな神殿が見るも無惨な姿になるのです。しかも今回は二度と再建されません。永遠の滅びです。
これをどのように適用できるのでしょうか。日曜休業令の足音がそこまで聞こえてきています。私たちの信仰はどうなるのでしょうか。私たちの信仰の錨は何ですか?
私たちの宮は教会でしょうか。教会は倒れそうで倒れないとホワイト姉妹は書いています。が、問題は中身です。真の神の民の宮は、天の聖所です。また、私たち自身の身体も宮です。
今は終わりの時、目前に迫る預言の成就が待っているのです。
*黙示録13:15-17
15 それから、その獣の像に息を吹き込んで、その獣の像が物を言うことさえできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。
16 また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ、
17 この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである。
このような圧力が来ます。サタンの獣の刻印は、国からの圧力として来るでしょう。
日曜休業令がすぐそこまでです。おそらく教会は圧力に屈するでしょう。米国の現代の真理によく通じている牧師や指導者たちは、世界総会のあり方を見て、そのように考えている人が多いです。ある忠実な神の民は、殉教するでしょう。またある人々は生き残りますが、本当に少ないと考えられます。今、山の田舎に移住して、水と畑を耕し食物を確保できるようにしておかなければ都会は目も当てられない状況になると考えられます。
話は変わって、
キリストがバプテスマを受けられたのは、西暦27年でした。
キリストが十字架にかかられたのは、西暦31年でした。
手元の資料から。(安息日学校ガイド2003、3期)
『天の聖所のキリスト――ユダヤ人クリスチャンにとっての 「現代の真理」。
十字架によってキリストは、「四千年の間キリストの死をさし示してきた型と儀式の制度に終止符をうたれ」ました(『各時代の希望』下巻130ページ)。地上生涯最後の夜、聖餐式を制定された時、主はそれをはっきりと意識しておられました。
キリストの復活と昇天後、福音は急速に異邦人に対して拡大されていきます。そうした中でエルサレム会議が開かれ(使徒15章)、異邦人クリスチャンに対する儀式律法の免除が決議されます。』
ここにEGホワイトが書いている通り、キリストの死まで、人類歴史は4000年を経過しました。今、2025年、すでに2000年以上が経過しました。しかしまだわかりません。
7000年からは私たちは1000年期を迎えます。デビッド・ゲイツは緻密な計算をし、ヨベルの年、すなわち、もうまもなく、すべてが解放される時が近いことを語っています。すなわち、再臨です。
ユダヤ人の話に戻ります。
『しかしユダヤ人クリスチャンにとって、神ご自身によって制定された犠牲制度が廃され、儀式律法の要求事項がもはや拘束力を持たないものとなったという主張は、受け入れがたいものでした。それは、彼らのアイデ ンティティーを根底から覆すものだったからです。強烈な選民意識が、儀式律法がキリストのうちにその完全な成就を見た事実を認めるのを妨げていたのです。そればかりか、彼らは、異邦人クリスチャンにも、割礼等の慣習の遵守を強要します。このような危機にあってパウロは、救いの手段としてこれらの儀式律に依存することは、信仰による救いの祝福を無効にするものだと言います。しかも、彼らが頼みとしている神殿とその奉仕は、まもなく永遠にその幕を閉じることになります。この時に当たって、パウロは、ユダヤ人クリスチャンが、彼らの目を地上の祭司制度の代わりに神が定められた天の聖所における大祭司キリストと彼の奉仕に向けるよう訴えたのです。それはまさに、彼らにとって「目からウロコ」のメッセージであり、「現代の真理」でした。それは「あなたがたは決して見捨てられることはない」という、同族に対するパウロの渾身の語りかけでもあったのです。』同上
これは何を意味しているのでしょうか。
8章から10章を読んでみると旧約から新約、つまり、古い契約から新しい契約に移行していることがわかります。神は同じですが、内容が更新されたのです。
(1)地上の聖所は、天の聖所の型として作られたものである。
(2)地上の聖所の本体は天にある。
(3)地上の聖所の儀式が象徴していた祭司(大祭司)のつとめは、今や、真の大祭司なるキリストの天の聖所でのつとめに取って代わった。つまり「型」が「本体」に合ったのである。
(4)罪をあがなう唯一のいけにえであるキリストの血により、今や、ゆるしの泉が無限に開かれている。
(5)それゆえ、キリスト以外の罪のためのささげ物は、もはやありえないし、不要である。
10章の後半、19節から39節は本当に素晴らしい言葉をパウロは与えています。
私たち霊的イスラエルは、このことをよく知る必要があると思います。
あなたの信仰の錨はどこにありますか?
*ヘブル6:17-20
17 神は、約束のものを受け継ぐ人々に、ご計画の不変であることを、いっそうはっきり示そうと思われ、誓いによって保証されたのである。
18 それは、偽ることのあり得ない神に立てられた二つの不変の事がらによって、前におかれている望みを捕えようとして世をのがれてきたわたしたちが、力強い励ましを受けるためである。
19 この望みは、わたしたちにとって、いわば、たましいを安全にし不動にする錨であり、かつ「幕の内」にはいり行かせるものである。
20 その幕の内に、イエスは、永遠にメルキゼデクに等しい大祭司として、わたしたちのためにさきがけとなって、はいられたのである。
『天の聖所にいますキリスト――永遠に変わらない大祭司、今も生きてと
りなしておられ、彼によって神に近づく者を完全に救われるお方――を信
仰によってとらえたときに、それは、ユダヤ人クリスチャンたちにとっ
て、魂を不動にする錨となりました。』(p75)
ですから、神に近づくとは、大祭司イエスを通して近づくということです。
二つの不変の事柄とは、古い契約と新しい契約のことです。
『ここに「キリストの御名によって祈る」ことの深い意味があります。新
しい契約の時代に生きる私たちも、いいえ、私たちはなおさらのこと、天
の聖所で私たちのため、また人類の救いのために仲保のわざをしておられ
る生けるキリストに信仰の目を向けさせる必要があります。』
この魂を不動にする錨、信仰の錨は、今後神への忠誠を迫られる状況に陥った時、知識がないために信仰がゆらぎ、世に妥協することから魂を守ってくれるでしょう。
一旦錨を下ろした船は波に揺られても、錨を上げない限り、その場から離れません。当時のユダヤ人が信仰の錨を理解したように、今、現代に生きる霊的イスラエルである私たちも、理解することができました。
もう、近いです。本当に近い。いまはShaking Time!! ふるいの時。だんだん、それは激しくなるでしょう。特に日本は、今後どうなるか全く予測不可能です。
木更津がナイジェリア人のホームタウンになるという国の方針は、恐ろしい。彼らは本当に不法の人々であり、レイプ、盗み、殺人、など平気という人々です。国の方針なので、どんどん家族が住み着くでしょう。ヨーロッパやアメリカと同様、不法移民によって国は荒れます。そういった意味でも、都会に住むことはできなくなるでしょう。
今が移住の時です。田舎に住むための5つのサバイバルのポイントをお知らせして今日のブログを終わります。
(1)神に全的悔い改めをしている(献身している)。
(2)山の田舎に移住する。(時がくれば、もう一度山奥へ逃げなければなりません)。
(3)水と食料の確保。(畑を耕し野菜を作る。木からも。)
(4)伝道をする。
(5)他の人を助ける。
遅くならないうちに、決意をなさってください。
アーメン!!
アクセスありがとうございます。
祝福と憐れみがありますように。




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