休業令が出てからでは遅すぎる。
- hosanaministry

- 1月8日
- 読了時間: 8分

今朝の米国からの情報では、今後ますます世界は悪化し、地震災害、事件が増すだろうということでした。「2025年は、暗闇、悲しみ、そして死別が訪れる年か?ネットゼロは暴君的。都市からの脱出が急務。自給自足の生活を。」というタイトルでした。
大規模なサイバーアタックがサタンとそのエージェント(代理人)によってしかけられることが予測されるからです(暗闇:黙示録16:10)。

このニュースは2023年1月の日付になっています。今2025年ですから、ここに書かれている『「今後2年間で広範囲にわたる壊滅的なサイバーイベントが発生する可能性が高い」と考えており、社会と企業を脅かす重大なスキルギャップがあります』ということで、ちょうど2年目にあたるためです!!
もし、自給自足の生活をしていたなら、このような脅威を心配する必要もなくなります。
ケータイも実際、生活には必要ありません。
私から見ると、神は神の民を促すために知らせておられるのではないのだろうかということを感じざるを得ませんでした。ちょうどロトのところへ来た御使たちがロトの家族を促したようにです。
本格的に山奥に逃げるのは、七つの災いの第二の災いの時です。その時は死刑宣告が出る時です。天使が助けてくれるとマラナタの本に書かれていました。
この最終時代、神の印を押されるクリスチャンは、特別な体験をするわけですから、背教した教会で、牧師の言うことを100%信じ、現代の真理も伝えられず、サバイバルの話など、まったく聞かれることもなく、ぼーっと腰掛けて安息日を過ごすなら、それは神の悲しまれることではないでしょうか。
神の印を押されるという意味は、エノクやエリヤの体験をすることなのです。
『この預言者の清い品性は、キリスト再臨の時に、「地からあがなわれ」る人々が到達しなければならない清い状態をあらわしている(黙示録14:3)。そのときには、洪水前の世界のように、罪悪が世にはびこる。人々は汚れた心の衝動と偽りの哲学の教えに従って、天の権威に逆らうのである。しかし、神の民は、エノクのように心の純潔と神のみこころとの一致を求めて、ついにキリストのみかたちを反映するに至るのである。彼らは、エノクのように、主の再臨と罪に対して下される刑罰について世界に警告を発し、その清い行状と模範とによって、不信心な者の罪を譴責する。世界が水によって滅ぼされる前にエノクが天に移されたように、生きている義人は、地が火によって滅ぼされる前に天にあげられる。』(人あ上87、7章、46p)。
次にエリヤについては次のように描写されています。
『エリヤは、キリストの再臨の時に地上に生きていて、死を味わうことなく「終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられ」る聖徒の典型である(Ⅰコリント15:51、52)。キリストの地上の生涯の終わりが近づいたころ、変貌の山においてエリヤがモーセとともに救い主のかたわらに立つことを許されたのは、このようにして天にあげられる人々の代表としてであった。』
次は、モーセです。(モーセの意味は少し違うかもしれませんが・・・彼は神に尊ばれました)
『罪の結果、モーセはサタンの権力のもとに置かれていた。彼自身の功績によっては、彼は当然死の捕虜であった。だが彼は、贖い主のみ名の権威によって、永遠の命によみがえった。モーセは、栄光の体で墓から現れ出て、救い主と共に神の都にのぼった。・・・・
神は厳密な従順をお求めになるということ、また、人は創造主に帰すべき栄光を自分に帰してはならないということを教えるために、モーセをカナンから締め出された。神は、イスラエルの嗣業にあずからせてほしいというモーセの祈りを受け入れることがおできにならなかった。しかし彼は、ご自分のしもべを忘れたり、捨てたりなさらなかった。天の神は、モーセが耐えてきた苦悩を理解し、争闘と試練の長い年月を忠実に仕えてきた1つ1つの行為をご存じであった。神は、ピスガの頂上で、地上のカナンとは比較にならないほど輝かしい嗣業にモーセをお召しになったのであった。モーセは、天に移されたエリヤと共に変貌の山に現れた。彼らは、天父からみ子に光と栄光を伝えるためにつかわされた。こうして幾世紀も前に捧げられたモーセの祈りがついに果たされた、彼は、神の民の嗣業の中にある「良い山地」に立ち、イスラエルの約束がことごとく集中しているおかたについてあかしをした(申命記3:25)。天の神に尊ばれたモーセが、歴史において、人間の目の前に現れたのはこれが最後である。』(人あ下96-99、249p.)
神の印を押されるということは、このような彼らと同じような体験をすることを意味します。私がお伝えしたいのは、このような特別な体験をするわけですから、それはそれはこの世にどっぷりと浸かってきたような何の価値もない者が、練られ清められ極限まで試されなければ彼らのレベルまで到達できない、ということ。死を見ずして天に上げられるとは、こういうことなのではないでしょうか。 そのためにキリストは死を味わわれ、復活され、昇天された。ですから少々の試練を試練と思わず、神に信頼と勇気をもって、行動に移し、感謝すべきではないでしょうか。神の憐れみとお恵みによります。
ブログを書くために、いろいろ調べていくうちに、そのように思えるようになりました。
休業令が発令されると、電気、ガス、水道、銀行口座凍結、公共機関、病院、車のガソリン買えない、バス、電車、飛行機、乗れません。お金はただの紙屑。風呂で燃やすしかありません。仕事も辞めざるを得なくなります。学校へも通えなくなります。
しかし、この生活は長くは続きません。3年半の忍耐です。
さてさて、このことを踏まえて、本題にはいります。確かにサバイバルは大変です。
まず、水の確保。これは山奥に住めば、だいたい確保できるのではないでしょうか。
日本は他の国と違って、山が多いので、神にしっかり祈ってドアを開けていただかねばなりません。お風呂も薪で沸かします。
それから、畑。家のことより畑を先に考慮すべきです。野口の種から種を購入しようと思います。豆を植えましょう。豆は保存がききます。米は家族や知り合いに農家さんがおられれば、手にはいるかもしれませんが、気をつけてください。他に芋類があれば命をつなげます。でも害獣もいるので、その対策も、必要な道具も今なら購入ができます。
先日、ご近所の方から、平茸をいただきました。私の住む嬉野市の山奥に平茸があるとは知りませんでした。「信濃国司 藤原陳忠が、神坂峠の深谷ぶ転落してしまった。付人家人達大慌てで旅籠を縄で下ろし懸命に引上げると、以外にも国司は居なくて平茸が一杯入ってゐた。再度籠を下ろすとやっと本人が乗って来たが、両手に尚一杯の平茸を抱きかかえ、まだ取り残しが多くさんあり残念だ」と悔んでゐた』と、若い頃、今昔物語だったと思いますが、面白かったので、覚えていて、それで平茸を知った次第です。余談ですが。
山に住んでいると、どの古い家にも、柿の木や枇杷の木がありますが、柿の葉は食用になります。ただし、5月の新芽。他に、ワラビがあります。これも春先。塩があれば、山菜の塩漬け保存もできるでしょう。気をつけて山歩きをすれば、いろんな食料があります。野草も調べればたくさん食用になるものがあります。
それからエネルギー。
ソーラーパネル、風力発電があります。アマゾンには、キットなどが販売されているので、ネットでいろいろ検索されて、使い方を学んで下さい。リチウム電池の知識も必要です。私はあまり詳しくはありませんが、原始的な生活に戻らねばならないことをお考えの上、行動していただきたいと思います。今しかできません。
排泄物の処理(青い下線のある文字をクリックするとリンクしています。)
山は汲み取りですが、休業令が発令されると、汲み取り車はきてくれません。自分たちで処理し、畑に還元するか、イスラエルが荒野でやっていたように、棒をもって山に入り、穴を掘り用を済ませるか、夏場は、蚊がいますし、蛇もいるので、お子さんがいる方は気をつけなければなりません。天草の仮庵教会主催の樺島さんは、EM菌を使って、排泄物を分解し畑の肥料にしているそうです。しかしもし専用のタンク設置をするとなると費用もかかります。一般のタンクはEM菌を使えないこともないですが、トイレットペーパー流せないそうです。しかしEM菌も自分で作らねばなりません。
これまで使っていた石鹸やシャンプーも買うことができません。作ろうとしてもその原材料がありません。物にあふれた生活を送ってきた私たちは、本当に早急に準備をし、田舎に引っ越すようにしてください。
上記のような生活の準備がありますから、一人でできない方は、ホサナミニストリーへご連絡いただければ、情報はお分ちすることはできます。
以前のブログでお知らせしたように、神の民が隔離され、自然の中で肉体も精神も清められます。清められると霊的な事柄が理解できるようになります。それが神のお目的です。
清められ、信仰が強められ、精錬され、品性の改革がなされなければならないのです。
感謝ではないでしょうか。そのようにして天へ行く体の聖所が清められます。
(*米、塩、砂糖、醤油、味噌、石鹸、食用油、ペーパー類など、2-3年分確保していいものなのか、わかりませんが・・・・)
このような補助金制度が各市役所にあるので、これらの制度を利用できるうちに、
移住を真剣に考慮なさってください。日曜令が発令されたら、利用できなくなります。
どうか、一人でも多くの魂が救いに至りますように。
アーメン!!




コメント