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永遠の命が今始まる、(Maranatha)10月21日

  • 執筆者の写真: hosanaministry
    hosanaministry
  • 10月21日
  • 読了時間: 3分

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そのあかしとは、神が永遠のいのちをわたしたちに賜わり、かつ、そのいのちが御子のうちにあるということである。」1ヨハネ5:11。


イエスの復活は、イエスにあって眠るすべての人々の最終的な復活の典型でした59預言の霊 3:219


彼[キリスト教徒]は死ぬかもしれませんが、キリストの命は彼の内にあり、義人の復活の時に彼は新しい命によみがえるでしょう60レビュー・アンド・ヘラルド紙、1901年10月1日号。


「彼[キリスト]のうちに命があった。そして、その命は人々の光であった。」ここで言及されているのは肉体的な命ではなく、不死性、つまり神のみに帰属する命です。神と共にあり、神であった言葉は、この命を持っていました。肉体的な命は、各個人が受けるものです。永遠でも不滅でもありません。命を与える神がそれを再び受け取るからです。人は自分の命をコントロールすることはできません。しかし、キリストの命は借り物ではありませんでした。誰もこの命をキリストから奪うことはできません。「わたしは、この命を自ら捨てる」とイエスは言われました。キリストには、本来の、借り物でもなく、派生したものでもない命がありました。この命は人間に本来備わっているものではありません。キリストを通してのみ、人間はそれを得ることができるのです。61『サインズ・オブ・ザ・タイムズ』1897年4月8日


キリストは人性を帯びながらも、その命を全能の神に頼っていました。人性において、神の神性を掴みました。そして、人類のあらゆる成員は、これを行なう特権を持っています。…


もし私たちが罪を悔い改め、キリストを命の与え主として受け入れるなら…私たちはキリストと一つになり、私たちの意志は神の意志と調和します。私たちは永遠のキリストの命にあずかる者となります。キリストの命を受けることによって、私たちは神から不死を得ます。なぜなら、キリストには神の豊かさのすべてが肉体をもって宿っているからです。この命は、神と人の神秘的な結合と協力です。62『サインズ・オブ・ザ・タイムズ』1897年6月17日号。


キリストは私たちと一体となり、私たちがキリストと一つの霊となるようにされました。この一致によってこそ、私たちは墓から出て来ることができるのです。それは単にキリストの力の現れとしてではなく、信仰を通してキリストの命が私たちのものとなったからです。キリストの真の姿を見て、心に受け入れる者は永遠の命を得ます。キリストは聖霊を通して私たちの内に住まわれます。そして、信仰によって心に受け入れられた神の霊こそが、永遠の命の始まりなのです。63『各時代の希望』388(英文)




アーメン!!

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祝福と憐れみがありますように。















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