私たちの奉仕は意味があるだろうか?ピラトの妻からの教訓‼️
- hosanaministry
- 6月28日
- 読了時間: 6分
更新日:6月28日

今日のブログはコンラッド・バイン博士のショートメッセージからです。
ピラトの妻に関して、このような学び方があったのですね。
聖書の話のどんな小さなことでも、そこには必ず良心の問題や道徳の問題、あるいは教理の問題などが潜んでいると思います。どのようにそれを心の目で読み取るか、それは、霊的考え方や捉え方を日頃から訓練しておかなければ、聖書に目を通しただけでは小さなことに関しては、深い洞察を見過ごしてしまうかもしれません。聖書からの学びはやはり一人の人物に集中することでしょうか。そこから聖書に書かれていない事柄でも、前後のストーリーから考察して、いろんなことが見えてくるかもしれません。
私たちクリスチャンの使命は何でしょうか? 伝道です。そのために生かされています。
そして、常日頃考えることは、どうすれば人々の関心を神に向けることができるだろうか、ということではないでしょうか。自分の奉仕は、どうしたらいいのだろうか、と考えます。自分のクリスチャン生活で、神の王国に影響を与えているのだろうか、教会で、家庭で、職場で、どうなのだろうか。私がここにいなかったら、誰か気づくでしょうか。
ピラトの妻に関して、聖書には本当に少ししか情報がありません。彼女はどんな人物だったのでしょうか。私たちが知っていることは、彼女はピラトの妻であり、キリストが十字架刑の宣告を受けた時、エルサレムにいた、ということくらいです。
ピラトの妻はユダヤ人ではありませんでした。ローマ人です。ローマ人なら異教徒の背景です。ローマの異教の儀式、ユピテル、ヴィーナス、マルスの崇拝に慣れていたということでしょう。彼女はキリストの死より3-4年前からピラトと暮らしていました。また、彼女はユダヤ人たちが、救世主に対する希望や、期待を知っていたかもしれません。おそらくイエスの教えについても聞いたことがあるかもしれません。なぜなら、当時、パレスチナ全土にイエスの名前は知れ渡っていたことは周知の事実であるからです。
彼女は、西暦31年の過ぎ越し祭に出席するために夫と共に、エルサレムに滞在していたと考えられます。彼女はどこへ旅をしても、大勢の兵士の護衛がいて、夫が嫌われていたこともおそらく耳にしていたことでしょう。
その日の朝、夫は早朝に起こされ、イエスという名の囚人を対処しなければならないことを知っています。彼はイエスが無罪であったことを知っているので、どうしたらよいのかわかりませんでした。
ピラトはイエスが無実であることを知り、祭司長が嫉妬からイエスをピラトに引き渡したのだと信じていました。彼は、ヘロデ王はこの奇妙な囚人をどうすればよいか考えてくれるかもしれないと期待し、イエスをヘロデのもとに送りました。ヘロデは何も進展させられなかったので、ピラトのもとへ送り返しました。
ピラトは、イエスが無実であることを知っており、ある妙案を思いついた、あるいはそう思ったのです。過ぎ越しの祭りでは群衆に囚人を差し出すのが習慣だったので、ピラトはイエス、あるいはバラバを差し出しました。
バラバという言葉は「父の子」を意味します。ですから、演壇の片側には神の子、父の子であるイエスがいました。そして、バラバという名の男も父の子と呼ばれていました。
群衆はイエスの血にとって災いとなりました。祭司長たちがイエスの有罪判決と即時の磔刑を求めて叫んでいたあの時、イエスはローマ兵とユダヤ人の衛兵に殴打され、カヤパの法廷で唾をかけられ、顔を平手打ちされ、ユダに裏切られ、ペテロに否定され、他の弟子たちに見捨てられていたあの時、全世界がイエスに敵対しているように見えたその時、ピラトに一通の手紙が届きました。それは彼の妻からの手紙でした。マタイ27:19にはこう記されています。「また、ピラトが裁判の席についていたとき、その妻が人を彼のもとにつかわして、『あの義人には関係しないでください。わたしはきょう夢で、あの人のためにさんざん苦しみましたから』と言わせた。」
その手紙の内容を知っていたのは二人でした。ピラトとイエスです。
群衆、宗教指導者、弁護士、教授、律法学者たちが皆、イエスの即時十字架刑を叫び、誰もがイエスの死を嘆願しているように見えたその時、イエスはどんな気持ちだったでしょうか。 地上には、ピラトの妻からのあの一通の手紙以外に、イエスを救おうとする力は何もありませんでした。
おそらく一度も会ったことのない誰かが、イエスのために立ち上がってくれたことを知ったイエスの心には、きっと計り知れない喜びが湧き起こったことでしょう。
イエスとピラトの妻にはほとんど共通点がありませんでした。彼は男で、彼女は女で、彼はユダヤ人で、彼女はローマ人で、彼女は信じられないほど裕福で、彼は貧しく、宮殿で眠り、彼はパレスチナの埃っぽい街路や路地裏で眠りました。彼女は地上のあらゆる特権を持っていました。彼は十字架にかけられようとしていましたが、総督は彼が無実であることを知っていたのです。確かに、イエスとピラトの妻にはほとんど共通点がありませんでした。しかし、ピラトの妻がピラトにその手紙を送ったその瞬間、天には喜びが、イエスの心にも喜びが溢れていたに違いありません。
イエスはその瞬間、自分の犠牲が無駄にならないことを悟りました。なぜなら、ローマ人である総督の妻が彼のために立ち上がったからです。異教徒であり、イエスとは何の共通点もなかった彼女が、今、彼のために立ち上がったのです。
彼女は歴史の流れを変えたのでしょうか? いいえ、イエスの十字架刑を止めることができたのでしょうか? いいえ、ローマ兵による鞭打ちを止めることができたのでしょうか? いいえ、彼女は人類の歴史の流れを変えたわけではありません。しかし、彼女がイエスの心の状態を変えたとしか想像できません。その瞬間、イエスは彼女に、ご自身の犠牲が無駄にならないという確信を与えました。
あらゆる民族、部族、言語、そしておそらくは直接イエスを見たことのない人々でさえ、イエスの犠牲がこの世の失われた人々に希望と喜びをもたらすという確信です。ですから、ピラトの妻はイエス・キリストの死の物語において特別な位置を占めていると思います。彼女はイエスのために声を上げた唯一の人物であり、その瞬間、イエスと天に喜びをもたらしました。
ですから、今日、私たち自身のことを振り返ってみましょう。私たちの宣教生活において、私たちは自分の行いによって世界が変わっているとは感じないかもしれません。政策や手順を変えているわけではないかもしれません。歴史の流れを変えているわけではないかもしれません。しかし、イエスは私たちの宣教を見て、私たちの証しを知っており、私たちの犠牲の代価を理解しています。神は私たちの忠実さを理解し、今日の私たちの奉仕はイエスに喜びをもたらします。ピラトの妻が、死刑を宣告される直前の最も暗い時期にイエスに喜びをもたらしたように、一通の手紙もイエスに喜びをもたらしました。ですから、神があなたに命じられたことなら何でも忠実でありなさい。
神は見ておられ、神はご存知です。そしていつの日か神は報いてくださいます。それまでは、神が私たちに命じられたぶどう園のどの部分においても、私たち皆が忠実であり続けられますように。
アーメン!!
アクセスありがとうございます。
祝福と憐れみがありますように。
Comments