✨ 終末における神の五つの試練‼️
- hosanaministry

- 11月2日
- 読了時間: 6分

”Sacred Destiny ” より。ホワイト姉妹は、終末に、神が神の民に五つの試練を与えらえる幻を見ました。「神の印を受けるための道 」なのです。でも、彼女は大勢の人が落ちていく幻だったので、愕然としました。その五つの試練が何であるかをお伝えします。
⚫️なぜ神は試練をお与えになるのでしょうか。
「わたしはあなたがたを炉の中で試みた」(イザヤ48:10)。神はすべてをご存じでありながら、なぜ私たちを試されるのでしょうか。
それは、私たち自身が自分の心の実態を知るためです。
試練は、神の知識のためではなく、私たちの成長のために与えられます。神は愛のゆえに、民を鍛えられます。そしてその試練は、偶然ではなく、秩序ある五段階の道として、預言者エレン・G・ホワイトに示されました。これら五つの試練は、やがて全世界に臨む最終的な審判の前に、神の民を清め、印を受ける者を選び出す霊的な工程です。それぞれの試練は段階的であり、前の試練を通過しなければ次に進むことはできません。
第一の試練は真理への愛、第二は忠誠、第三は肉体の清め、第四は世との分離、
そして第五は命を懸けた信仰の実証です。
では、一つずつご説明しましょう。
① 真理の試練 ― 光を拒むか、受け入れるか
神の民の歩みは、真理への応答から始まります。
ホワイト姉妹はこう記しています。
「今、光の一筋一筋を受け入れなければ、患難の時に立つことはできない。」
(Testimonies, Vol.5)
この「光」は単なる教理の理解ではありません。
それは、あなたの生活・思考・習慣を根底から変える神の呼びかけです。
真理はいつも慰めではなく、挑戦として訪れます。
神が照らす新しい光は、しばしば私たちの快適さを壊します。
しかし多くの人はこう言います。「それは極端だ」「昔からのやり方が正しい」と。
頑なな心は、光を拒む最大の敵です。
ホワイト姉妹は「真理を愛する心がなければ、いかなる信仰も無益である」と述べました。
真理の試練とは、神が示される新しい啓示をどのように扱うかの試験です。
真理を受け入れることは、社会的地位、友人関係、時には家族との調和を犠牲にするかもしれません。
しかし、天はその一歩を「信仰の勝利」として記録します。
この第一の試練を通過する者のみが、次の段階に進むことが許されるのです。
② 従順の試練 ― 安息日の聖化に現れる忠誠
第二の試練は「従順の精神」が問われます。
聖書の安息日は、創造の記念であり、忠誠の印です。
「安息日は忠誠の大いなる試金石となる」(『各時代の大争闘』p.605)とホワイトは預言しました。
多くの人は安息日を「休む日」としては守っても、「聖なる日」としては扱いません。
思いが世にとどまり、心が神に向かっていないなら、外見の敬虔さは無意味です。
神は、心の静まりと聖なる交わりをもって安息日を区別する者を求めておられます。
さらに重要なのは、準備の精神です。
金曜の日没前にすべての務めを終え、心も家庭も整えて、安息日に入る。
この「備えの訓練」が、終末の忠誠の基礎となります。
エレン・ホワイトはこう記しています。
「金曜のうちに衣を整え、食を調え、風呂をすませ、すべてを終えるようにせよ。
そうすれば心は安息日に自由である。」(Testimonies, Vol.6)
この試練は、小さな妥協がいかに信仰を蝕むかを示す鏡です。
便利さのために神の命令を軽んじるなら、やがて迫害の時に信仰を捨てるようになります。
日常の中の忠誠こそ、終末の信仰を支える根であるのです。
③ 健康改革の試練 ― 体を聖霊の宮として保つ
第三の試練こそ、ホワイトが「救われる者と滅びる者を分ける」と述べた決定的な関門です。
「食欲はアダムの堕落の原因であり、聖霊は汚れた神殿には宿らない。」(Counsels on Diet and Foods, p.28)
創世記の堕罪も食に始まり、キリストの荒野の勝利も食欲に勝つことで始まりました。
健康改革とは、単なる菜食主義ではなく、自己制御の霊的訓練です。
現代の人々は、美味・快楽・便利を神としています。
ホワイト姉妹は「多くの者が腹を神とし、食欲を崇拝している」と警告しました。
肉体の乱れは心を鈍らせ、祈りの力を奪います。
やがて患難の時、弱った体と曇った心は信仰を保てません。
神の印を受ける者は、「体・魂・霊のすべてにおいて聖なる者」(Testimonies, Vol.1)です。
日々の食卓が、救いの舞台であることを思い出しましょう。
健康改革の試練は、肉体を通して神に栄光を帰する信仰の証なのです。
④ 分離の試練 ― 世とラオデキアからの召し出し
第四の試練は、「Come out of her, My people」(私の民よ、彼女からでなさい)(黙示録18:4)という神の呼びかけです。
ホワイト姉妹は、「ラオデキアの教会は現代の信徒に対する鏡である」と語りました。
「彼らは神を知っていると告白するが、その行いによって神を否む。」(Testimonies, Vol.4)
現代の信者の多くは、「熱くも冷たくもない」ぬるま湯の信仰状態にあります。
世の音楽、衣服、娯楽、価値観をそのまま受け入れ、
もはやクリスチャンと世俗の人を区別できないほどです。
しかし神は、アベルのように世と明確に分かたれた民をお持ちになります。
分離は孤立ではなく、聖化のプロセスです。
それは、見える形で現れる——
生活、言葉、態度、時間の使い方にまで、天の品格が現れます。
「世に同化することは、教会を世に変えることである。」(Testimonies, Vol.5)
世から離れるとは、愛を失うことではありません。
むしろ、より深く神を愛し、人々を救うために自らを清める行為なのです。
⑤ 最終迫害の試練 ― 命より主を選ぶ信仰
最後の試練は、忠誠の頂点です。
ホワイト姉妹は幻の中で、「神の民に対する死の布告」を見ました。
全世界が神の律法を守る者を滅ぼそうと一致するその時、
真の信仰者だけが立つことができます。
「彼らは神に堅く信頼し、日夜祈り続けた。
サタンもその軍勢も彼らを打ち倒すことはできなかった。」(Early Writings, “Time of Trouble”)
この最終試練は、命か信仰かの選択です。
ですが、前の四つの試練を通過した者は、すでに自分を捨てています。
真理を愛し、安息日に忠実で、体を清め、世から離れた彼らは、
もはやこの世に未練がありません。
その者たちは神の力により、飢えにも、孤独にも、死にも勝ちます。
そしてついに、「その顔は栄光に輝き、解放の時が来た」と記されています。
(Early Writings, p.282)
この試練を通る者こそ、永遠の勝利者です。
「忠実な者は命に至る冠を受ける」(黙示録2:10)
✨ 結び ― 試練は滅びではなく、備えの恵み
神はあなたを罰するために試みられるのではありません。
それは、天国にふさわしい人格を形づくるためです。
五つの試練は、信仰を現実の行動へと変える神の教育です。
真理を受け入れ、安息日を尊び、体を清め、世を離れ、
迫害の中でも主を選ぶ者は、神の印を受け、永遠に輝くでしょう。
🙏 祈り
主よ、私の心の奥底を探り、隠れた罪と怠慢を取り除いてください。
真理を恐れず、御言葉に従う勇気をお与えください。
私の体を聖霊の宮として保ち、世の誘惑から守ってください。
そして最終の試練のとき、
あなたに忠実であることを選び取る信仰をお与えください。
イエス・キリストの御名によって、お祈りします。アーメン🙏
アーメン!!
アクセスありがとうございます。
祝福と憐れみがありますように。




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