Part2〜3.1844ーフィラデルフィア時代の始まりとその精神への回帰‼️
- hosanaministry
- 6月14日
- 読了時間: 12分
更新日:6月23日

Part2ー1844年は、フィラデルフィア時代の始まり。
Part3ーフィラデルフィア精神への回帰。
この二つについて考察します。非常に重要なメッセージと思います。このような真理を学ぶことは今後の信仰人生に良い影響を与えるのではないでしょうか。また私たちの拙い伝道にあっても確信を保たせてくれます。
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「Part2ー1844年は、フィラデルフィア時代の始まり。
「主流の解釈では、1844年はしばしば霊的な失敗、すなわち幻滅と教義上の混乱を特徴とするラオデキア時代の始まりと結び付けられます。しかし、預言的な証言と歴史的証拠は、全く異なる様相を示しています。1844年は衰退の始まりどころか、フィラデルフィアの経験の台頭を象徴する年でした。それは、奉献、従順、そして天から与えられた光に基づく運動でした。
初期のアドベンチストの開拓者たちは、この極めて重要な年を、失望というレンズを通してだけでなく、黙示録3章7-8節、つまりフィラデルフィアに対するキリストのメッセージの成就として捉えていました。「わたしはあなたの前に開かれた門を置いた。だれもそれを閉じることはできない。」この「開かれた門」とは、一般的な機会ではなく、天の聖所、具体的には2300日の預言の終わりにキリストが入られた至聖所を指していました。」
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非常に印象深いメッセージです。私たちが過去に学んだ、消極的なラオデキヤ教会とは大違いのフィラデルフィアのメッセージです。「開かれた門」のキリストのメッセージもすんなり理解できるのではないでしょうか。
以下は、EGホワイトをはじめ、ユライヤ・スミス、ハスケルのあかしが続きます。
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「〜エレン・G・ホワイトの開かれた扉の幻〜
1849年3月24日、エレン・G・ホワイトは、この聖所の移行について、霊感を受けた幻の中で確認しました。メイン州トップシャムでの集会中、彼女は幻の中で、キリストが聖所から至聖所へと移る様子を目にしました。これは、調査審判と安息日の試練の始まりを示すものでした。
「この扉は、1844年に天の聖所と至聖所におけるイエスの仲介が終わるまで開かれませんでした。それからイエスは立ち上がり、聖所の扉を閉じ、至聖所への扉を開きました…私は、イエスが聖所の扉を閉じたので、誰もそれを開けることができず、またイエスが至聖所への扉を開いたので、誰もそれを閉じることができないのを見ました(黙示録3:7, 8)…私は、この点でサタンが神の民の一部を誘惑しているのを見ました」—エレン・G・ホワイト『初代文集』42–43ページ。
ホワイトのビジョンは、聖所のメッセージとフィラデルフィアのアイデンティティを直接結びつけています。至聖所への移行は霊的な崩壊の兆候ではなく、終わりの業の始まり、すなわち残りの教会を区別する神の定めでした。
〜スティーブン・N・ハスケルによる天の聖所について〜
スティーブン・N・ハスケルも同様に、1844年の預言的意義を確認し、「開かれた扉」が聖所という文脈で示されたことを強調しています。
「天の花婿であるキリストは、御父のみもとに入られました。…フィラデルフィアの教会の関心は天の聖所に向けられています。それは、二千三百日の終わりに救い主御自身が至聖所に入られた際に開かれました。主はすべての人々に、『わたしはあなたの前に開かれた扉を置いた。誰もそれを閉じることはできない』というメッセージを送っています。」—スティーブン・N・ハスケル著『パトモスの預言者の物語』
この記述は、フィラデルフィアへのメッセージが、聖所の真理の展開と、1844年をきっかけに起こった運動に直接結びついていたことを裏付けています。
〜ユライア・スミス:兄弟愛と預言の炎〜
アドベンチスト教会の最も著名な預言的解説者の一人であるユライア・スミスもまた、初期の運動の神聖な性格を証ししました。彼は1844年秋までの期間を、フィラデルフィア精神の顕現と捉えました。
「フィラデルフィアという言葉は兄弟愛を意味し、1844年秋まで再臨のメッセージを受け入れた人々の立場と精神を表しています。…利己心と貪欲は捨て去られ、献身と犠牲の精神が大切にされました。神の霊はすべての真の信者と共にありました。…この運動に参加した人々は、言葉ではその聖なる幸福な状態を言い表せないことを知っていました。」
—ユライヤ・スミス著『ダニエルと黙示録』380-381ページ。
スミスの言葉は、霊的な熱意と聖化された一致の鮮明な姿を描き出しています。これはラオデキアの自己欺瞞と霊的な貧困の状態ではなく、「[キリストの]言葉を守り、[キリストの]名を否定しなかった」教会でした(黙示録3:8)。
〜預言のパラドックス(逆説):フィラデルフィアかラオデキアか?〜
ラオデキアを1844年とすることは、復興と退行、称賛と叱責を混同することです。ラオデキアへのメッセージ(黙示録3:14-22)には賛美は含まれておらず、霊的な盲目、貧困、そして悔い改めへの呼びかけだけが語られています。対照的に、フィラデルフィアへのメッセージは、肯定、神の保護、そして預言的な運命を告げています。
1844年に開かれた扉は、暗闇への転落ではなく、試練、真理、そして勝利への入り口でした。それは、キリストの最後の仲介の段階の始まりであり、聖所を中心とした明晰さをもって永遠の福音を宣べ伝える備えのできた民の台頭を象徴するものでした。
これは恥ずべき世代ではなく、神によって任命された世代でした。教会が現在の義務と将来の運命を見極めるためには、その預言的なアイデンティティを取り戻さなければなりません。」
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@ここまでで、Part2は終わりです。素晴らしい見解でした。大変勇気付けられます。神に対する信頼と希望が増したのではないでしょうか?
Part3へ進みます。
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「Part 3フィラデルフィアの精神への回帰
初期のアドベンチストの開拓者たち、特にエレン・G・ホワイト、ユライア・スミス、そしてスティーブン・N・ハスケルは、自分たちの運動がラオデキアではなくフィラデルフィア教会へのメッセージであることを明確に認識していました。彼らの預言者としての意識は、1844年のキリストの至聖所へ入られたことに根ざしており、彼らはこの出来事を神学上の礎石であると同時に霊的な使命であると捉えていました。この聖所を中心としたビジョンは、真理、犠牲、そして神の臨在を特徴とする運動の幕開けとなりました。
エレン・ホワイトのビジョンは、このアイデンティティを一貫して強調していました。彼女は、残りの民とはキリストに従って至聖所に入り、神の律法を尊び、安息日を擁護する者たちであると描写しました。この従順は律法主義的なものではなく、前進する光の中を歩む民の応答でした。フィラデルフィア教会は単なる歴史的なものではなく、霊的であり、預言的であり、生きた教会でした。」
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@こういった内容の教えは、教会で決して聞くことはありませんでした。1844年はキリストの至聖所中心の真理です。先駆者たちの見解は明らかです。
フィラデルフィア教会は、霊的であり、その生きた教会を目指すべきなのです。ラオデキヤの眠った状態という言葉の上にあぐらをかいてはいけないのです。今からでも遅くないと思います。
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「『主の御業の精神を持つ真の神の民は…小羊がどこへ行こうとも従うべきである…彼らは着実に前進し、決して後退してはならない。』
―エレン・G・ホワイト「牧師への証言」512ページ。英文。
キリストが至聖所を開かれたまさにその瞬間にラオデキア派の呼称を当てはめることは、称賛と叱責の境界線を曖昧にすることです。それは、当時は増しつつある光が消えゆくかのように誤って伝えています。フィラデルフィア派のメッセージは神の肯定に満ちていますが、ラオデキア派のメッセージには叱責と悔い改めへの切実な呼びかけしかありません。
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@アーメン‼️ 本当に、このような真理を知ると嬉しくなります。
次は、近代の注解に関する神学的逆説です。
私はなぜか安息日学校のテキストは嫌いでした。あまり神学的なことは学びたくなかった。しかし今、預言の霊は、私たちの心を奮い立たせないでしょうか。
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「〜現代解釈における神学のパラドックス〜
この明確な預言的根拠にもかかわらず、C・マーヴィン・マクスウェルが『神は気にかけておられる』で提唱したような現代的な解釈は、厄介なパラドックスをもたらします。キリストが「吐き出す」と脅したラオデキア教会が、同時に世界に最後のメッセージを伝える任務を託された残りの運動であるというのです。
このパラドックスはアイデンティティの危機を提起します。もしラオデキアが生ぬるく、盲目で、自己欺瞞に陥っているとしたら、どうして終わりの日の忠実な教会であり得るのでしょうか。この矛盾は深刻です。キリストは、ご自身が叱責し、拒絶しようとしている教会に、最後のメッセージを託すことができるのでしょうか。
「わたしはあなたの行いを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。…だから、あなたは生ぬるいので…わたしはあなたを口から吐き出す。」
―黙示録 3:15-16
ここには称賛の言葉も肯定の言葉もありません。あるのは警告だけです。対照的に、フィラデルフィア(口語訳聖書では「ヒラデルヒヤ」)では次のように言われています。:
「わたしは、あなたのわざを知っている。見よ、わたしは、あなたの前に、だれも閉じることのできない門を開いておいた。・・・・忍耐についてのわたしの言葉をあなたが守ったから、わたしも、・・・試錬の時に、あなたを防ぎ守ろう。」ー黙示録3:8、10
〜真の残りの者のアイデンティティの回復〜
真の残りの教会とは、改革されたラオデキアではなく、回復されたフィラデルフィアです。黙示録3章の呼びかけは、ラオデキアを調整することではなく、それを克服することです。そうすることは、小羊が「どこへでも」従った開拓者たちの使命、メッセージ、そして霊的な雰囲気を取り戻すことです(黙示録14:4)。開拓者たちの著作は、無関係であったり時代遅れであったりするどころか、この回復にとって不可欠です。エレン・ホワイトは、この点を紛れもなく明確に強調しました。:
「神は私たちの定期刊行物に関して私に光を与えてくださいました。それは何でしょう? ― 神は死者が語るとおっしゃいました。どのように? ― 彼らの働きが彼らに従うのです。私たちは、私たちの仕事において先駆者たちの言葉を繰り返し伝えなければなりません… ― これらの人々が過去に書いたものを再現しましょう。」
―『レビュー・アンド・ヘラルド』1905年5月25日、第21段落。
彼らの言葉が重みを持つのは、郷愁からではなく、神の導きによって形作られたからです。
彼らの信仰は預言的な試練の炉の中で鍛えられ、彼らの教えは聖霊によって確証されました。
〜今日のメッセージ〜
フィラデルフィアの残りの民は、宗派の形式ではなく、霊的な忠実さによって定義されます。彼らは、1844年に啓示された開かれた聖所の真理に根ざし、三天使のメッセージを明確に宣べ伝える民です。彼らは進歩を妥協と混同しません。霊的な識別力を組織的な力に置き換えることもありません。
しかし、時が経つにつれて、フィラデルフィアの精神は衰え、別の精神が芽生え始めました。時が経つにつれ、1844年以降の熱狂は組織的な傲慢さに取って代わられ、教会は霊的な転換点に近づきました。
永遠の福音を宣べ伝える揺るぎない炎として始まったものが、揺れ始めました。エレン・ホワイトは、最終的にこの変化した状態をラオデキアと特定しました。
この移行期は、単なる歴史的関心事ではありません。アドベンチストのアイデンティティにおける預言的な危機の中心です。フィラデルフィアの精神を取り戻すことは、地上の最後の警告に必要な勇気、確信、そして明晰さを取り戻すことです。それ以下のものは、盲目、妥協、そして霊的破滅を招くのです。
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@教会に新しい人でも、学ぶ目標のある人ならば理解できると思いますが、それ以前に初心者は牧師に信頼しすぎて危険な部分があります。これは自分の経験から言えることですが、サタンの策略に気をつけなければならないということでしょう。
🔷ポイント
Part2 1844年は、フィラデルフィア時代の始まり。
1844年は、衰退の始まりではなかった。フィラデルフィアの経験の台頭を象徴する年であり、それは、奉献、従順、そして天から与えられた光に基づく運動であった。
キリストの至聖所への移行は霊的な崩壊の兆候ではなく、終わりの業の始まり、すなわち残りの教会を区別する神の定めの時であった。
Part3フィラデルフィアの精神への回帰。
EGホワイト、ハスケル、ユライヤ・スミスなど先駆者たちは、自分たちの運動がラオデキアではなくフィラデルフィア教会へのメッセージであることを明確に認識していた。
聖所を中心としたビジョンは、真理、犠牲、そして神の臨在を特徴とする運動の幕開けとなった。
フィラデルフィアの精神を取り戻すことは、地上の最後の警告に必要な勇気、確信、そして明晰さを取り戻す。
上記に対して、信じる信じないは、ご自身できめることです。ベレアの人々のように、自分で調べることはよいことです(使徒17:10、11)。
アーメン‼️
アクセスありがとうございます。
祝福と憐れみがありますように。
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