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聖霊とは誰か⁉️(2)神ご自身の霊

  • 執筆者の写真: hosanaministry
    hosanaministry
  • 8月12日
  • 読了時間: 5分

更新日:8月15日


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☑️「聖霊」を理解するには、「偏在」や「霊」の意味が何であるかがわかると理解しやすくなります。


2. 聖霊――神の遍在。それは神ご自身の霊です。

主は天から見おろされすべての人の子らを見

そのおられる所から地に住むすべての人をながめられる」(詩篇 33:13-14)


わたしをみ前から捨てないでください。あなたの聖なる霊をわたしから取らないでください。」(詩篇 51:11)


7 わたしはどこへ行って、あなたのみたまを離れましょうか。わたしはどこへ行って、あなたのみ前をのがれましょうか。8 わたしが天にのぼっても、あなたはそこにおられます。わたしが陰府に床を設けても、あなたはそこにおられます。9 わたしがあけぼのの翼をかって海のはてに住んでも、10 あなたのみ手はその所でわたしを導き、あなたの右のみ手はわたしをささえられます。」 (詩篇 139:7-10)


23 「主は言われる、わたしはただ近くの神であって、遠くの神ではないのであるか。

24 主は言われる、人は、ひそかな所に身を隠して、わたしに見られないようにすることができようか。主は言われる、わたしは天と地とに満ちているではないか。」(エレミヤ 23:23, 24)


主の御座は天にある」(詩篇11:4);しかし、その御霊によって、彼は至る所に存在しておられる。彼は、御手の業のすべてについて、深い知識を持ち、個人的な関心を抱いておられる。」 — E. G. White, Education , p. 132


「聖書は、神が崇高で聖なる御座に坐しておられ、無為の状態ではなく、沈黙と孤独の中にいるのではなく、数え切れないほどの聖なる存在に囲まれておられ、すべてが彼の御心を行うのを待っていることを示しています。これらの使者を通じて、彼は彼の支配するすべての領域と活発な交わりを保っています。御霊によって、神は至る所に存在しています。御霊と御使いたちを通じて、神は人類の子らに奉仕されています。」『癒しの務め』{MH 417.2}


「宇宙のどの部分においても、遍在される方の知識なしに起こることは何一つありません。人間の生活のいかなる出来事をも、私たちの創造主は知らないことはありません。サタンが常に悪を企てている間も、私たちの神である主はすべてを支配し、その従順で信頼する子供たちに害が及ばないようにされます。荒れ狂う海の波を支配する同じ力が、反乱と犯罪のすべての力を抑え込むことができます。神は一方にも他方にもこう言われる。『ここまでは行け、それ以上は行くな。』{ST 1881年7月14日、第8段落}」


注:霊感を受けた証拠は、神の遍在(どこにでも存在することが、その全知(すべてを知り、すべてを見ること)と密接に関連していることを示唆している。神は、すべてを知り、すべてを見るからこそ、どこにでも存在していると考えられる。


  1. 霊とは心 (英語では、聖霊はHoly spirit、霊はspirit)

イエスは、彼らが内心このように論じているのを、自分の心ですぐ見ぬいて、「なぜ、あなたがたは心の中でそんなことを論じているのか。』」(マルコ2:8)


イエスは、その(ストロングズ G1921: epiginwskw – epiginosko「知る、すなわち理解する」)で悟った。イエスのは、彼が物事を知り理解する場所である。イエスのはイエスの心である


時に、主の霊[ruwach H7307]が私に下って、私に言われた。『主はこう言われると言え。イスラエルの家よ、考えてみよ。わたしはあなたがたの心[ruwach H7307]にある事どもを知っている。』」 (エゼキエル11:5)


この箇所では、ヘブライ語の「ルワフ」は一か所では「」と訳され、別の箇所では「」と訳されています。


明らかに、個人の霊は、その個人の心や思考であることがわかります。神の霊は、まさに神の心そのものです。(創世記41:8、詩篇77:3、ダニエル2:1-3、7:15、ヨハネ11:33、ヨハネ13:21、イザヤ40:13、ローマ11:34)


イザヤ書40章13-14節の「主の霊」とは誰、あるいは何でしょうか。

だれが、主の霊を導き、その相談役となって主を教えたか

14 主はだれと相談して悟りを得たか。だれが主に公義の道を教え、知識を教え、悟りの道を示したか」 (イザヤ書 40:13-14)


聖霊が別個の存在であると信じる人々は、イザヤ書 40:13-14 に出てくる「主の霊」は、父なる神の霊とは別の存在であり、独自の心と認識力などを持つと結論づけます。


しかし、イザヤ書 40:13-14 とローマ人への手紙 11:33-36 を比較してみましょう。


33 ああ深いかな、神の知恵と知識との富は。そのさばきは窮めがたく、その道は測りがたい。

34 「だれが、主の心を知っていたか。だれが、主の計画にあずかったか。

35 また、だれが、まず主に与えて、/その報いを受けるであろうか」。

36 万物は、神からいで、神によって成り、神に帰するのである。栄光がとこしえに神にあるように、アァメン


以下は英文聖書訳

33 ああ、神の知恵と知識の富はなんと深いことか。その裁きはなんと測り知れず、その道はなんと見抜くことのできないことか。

34 主の思いを知った者はだれか。主の助言者となった者はだれか。

35 だれがまず主に与えたなら、報いを受けるであろうか。

36 万物は神から発し、神によって成り、神に帰する。栄光がとこしえに神にありますように。アーメン。(ローマ人への手紙 11:33-36)


注:ローマ書11章33-36節は明らかにイザヤ書40章13-14節を引用しており、イザヤ書40章13-14節における「主の霊」とは一体何なのか、また誰なのかをも明確に示しています。…神の知恵と知識は「主の心」に宿るのです。


したがって、イザヤ書40章13-14節が言っているのは、神の心(他の存在ではない)は「測り知れず」、その裁きと道は計り知れないということです。「だれが主の霊を導いたか。だれが助言者となって主を教えたか。」言い換えれば、主の「知識」を教えたり助言したり、「悟りの道を示した」者は誰もいないということです。神の知恵と知識は、他の誰からも、どこからも来るのではなく、神ご自身が源泉です。「万物は、神からいで、神によって成り、神に帰するのである」(ローマ11:36)


3の「霊とは心

の項目で、「神の霊/心対人間の霊/心」、その他の項目やもう少し残っています。

次回にします。



アーメン!!

アクセスありがとうございます。

祝福と憐れみがありますように。












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