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贖罪日の大祭司服の意味する事柄‼️と罪の除去

  • 執筆者の写真: hosanaministry
    hosanaministry
  • 8月30日
  • 読了時間: 5分

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Youtubeで、先日、「聖所の儀式と終末諸事件の順序」の最初の動画を掲載しましたので、

ご覧ください。


贖罪日の儀式は神様から直接与えられた贖いの教科書です。終末諸事件の順序を正しく理解するカギは贖罪日の儀式を正しく認識することにかかっています。

問題は私たちの聖所の儀式と罪の処理の理解の不足からセブンスデーの中で

不一致が見られることです。




なぜ、この学びが重要か、”Christ in His Sanctuary” (至聖所のキリスト)からホワイト姉妹が教えています。

今、私たちは贖罪の厳粛な日に生きています。典型的な儀式において、大祭司がイスラエルのために贖罪を行う間、民は皆、罪の悔い改めと主の前での謙遜によって魂を苦しめることが求められました。さもなければ、民の中から断たれることになったからです。同様に、いのちの書に名を留めたいと願う者は皆、今この試練の時が残り少ないうちに、罪を悔い、真の悔い改めをもって神の前で魂を悩まさねばなりません。深く誠実な心の探求が不可欠なのです。多くの名ばかりのクリスチャンが甘んじている軽薄な精神は捨て去らねばならない。支配を争う悪しき傾向を制圧しようとする者には、真剣な戦いが待ち受けている。準備の業は個人の業である。集団で救われるわけではない。一人の清さと献身が、他者のそれらの欠如を相殺することはない。すべての国々が神の御前で裁きを受けるとはいえ、神は各個人の事案を、この地上に他の存在がいないかのように、厳しく深く調べられる。誰もが試みられ、しみやしわ、あるいはそのようなもののない者と認められなければならない。』(英文、CIHS187.1)


*レビ記23:28ー29

28 その日には、どのような仕事もしてはならない。これはあなたがたのために、あなたがたの神、主の前にあがないをなすべき贖罪の日だからである。

29 すべてその日に身を悩まさない者は、民のうちから断たれるであろう


レビ記16章はアロンの大祭司の務めが描かれています。


さて、まず初めの学びは、贖罪日の祭司服についてです。表の一番右端をご覧ください。祭司の服装は、四回変わっています。これは天の聖所でのイエスの大祭司としての祭司服です。この祭司服の着用には目的があり、聖所の儀式にはすべて意味があります。


▪️イエスのST


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  1. 最初、アダムが罪を犯した後、天に聖所が設けられ、地上に来られるまで、イエスは大祭司でした。大祭司の祭司服は青い袖なしの上着とエポデの胸当てをつけています(ST1-7)。

  2. 2番めは、地上に来られた時 〜 第二昇天まで、白い祭司服。

  3. 3番めは、天の聖所に入られ(AD31〜1844年)仲保の働きを開始された。仲保の働きの終了を意味する。〜 7つの災害のスタート。青い祭司服。

  4. 4番めは、日曜休業令により、死の法令発布、〜第一の死まで。再臨の時の白い衣。

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患難上p28「大祭司が至聖所の儀式を執り行った後、待っている会衆の前に祭司服を着て現れたように、キリストは、『どんな布さらしでも、それほどに白くすることはできないくらいに』真っ白く輝く衣を着て、ふたたびこられるのである」。

アーメン‼️






翻訳著者の

『私はこの4年半の学びで、これらの理解の相違点がもたらす不一致を解消するには、贖罪日の儀式の解明が重要

であることを悟りました。ダニエル書とヨハネ黙示録の各預言のほとんどは聖所(the sanctuary)に関わるもので

す。贖罪日の儀式の解明に不一致をもたらしている最も大きな要因は、その日に大祭司が着用した祭服が何であ

るかの理解が異なっていることに気付きました。

・儀式の間大祭司は正装であった

・儀式の間大祭司は白いリンネルの服装であった

・儀式の間大祭司は3度着替えた

一体正しい理解はどれでしょうか?。





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2番目、イエスの白い祭司服、イエスの誕生から、第2昇天まで。


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3番目、仲保の働きから、7つの災害スタートまで。アロンは金の香壇の角に雄牛と雄山羊の血を塗り、祭壇に注ぎます。その時が罪の除去の第一段階です。恩恵期間終了・サタンに聖徒からの除去された罪を移し、この時、罪の記録が除去される。罪の除去第2段階。


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4番め、死の法令発布。イエス天の宮廷を出発、再臨。地上の悪人の第1の死、1000年期後、サタンの勢力を火で滅ぼされる。第2の死。罪の除去の第3段階と

なってますが、4段階だそうです。

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ST17ーAの第一段階で個人の罪は記録と記憶に残っているが、罪は除去され罪責はない、と書かれている通りです。従って、後の雨を受け、神の印を押されます。


ただし、罪の張本人サタンとその軍勢、そして悪人たちが存在する限り、

宇宙は安全ではない。罪の痕跡が残っていますが、罪祭の全てを焼却されることで(ST22-24)その痕跡がなくなるように、悪の者たちの完全な滅びによってその痕跡はなくなります。宇宙はやっと安全になりました。1000年期は、サタンは自分の行った罪を

自覚し自分が滅びに値することを認識します。神は正しかったと悟るのです。

悪人たちも同様に罪を悟り、神の義の前にすべてはひれ伏す。


地球は火で清められ、再生され、新しいエデンとなり、新エルサレムの住人たちは、

地上に出てきて、そこに永遠に住むのです。大争闘の本は、神は愛です、始まり、神は愛

である、で終わります。


アーメン!!

アクセスありがとうございます。

祝福と憐れみがありますように。

















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