top of page

🧐「伝道」「証し」という言葉をなくそう‼️

  • 執筆者の写真: hosanaministry
    hosanaministry
  • 2月18日
  • 読了時間: 5分

私は、現在の嬉野市の山中に移住してから、コロナ以前までよくイベント活動をしていました。

クリスマスは異教徒の祭りではありますが、田舎の子供達、外国人の子どもたちは喜びます。年に一回のイベントとして人々の必要を叶えるには、絶好のチャンスでもあります。


他にも、田植え、減農薬米の草取り、稲刈りなど、都会では絶対体験できない、日本人としての行事をイベントに取り組むことができます。


さて、上記の画像をご覧ください。これは霊的関心の経過を示したものです。

ゼロからスタートし、100ポイントのキリストを受け入れるまでの霊的関心の動きです。

つまり、私たちの動機もこれに沿っています。

人々に愛と親切を示し、人々の世話をし、人々と共に過ごす。

こうしてイエス・キリストの品性を示す。

時間がどれほどかかるかわかりませんが、人というのは、誰かが自分のことを

大切に思ってくれているというところで、私たちに興味を示すようになります。でも

それは、私たちを通して聖霊が働いているという意味です。


パウロの聖句があります。私はこの言葉が気に入っています。(1コリント3:6-9)

6 わたしは植え、アポロは水をそそいだ。しかし成長させて下さるのは、神である。

7 だから、植える者も水をそそぐ者も、ともに取るに足りない。大事なのは、成長させて下さる神のみである。

8 植える者と水をそそぐ者とは一つであって、それぞれその働きに応じて報酬を得るであろう。

9 わたしたちは神の同労者である。あなたがたは神の畑であり、神の建物である。


もう、これしか残っていない。

文書伝道も、ドアからドアの伝道も、今の時代、家の人が扉を開けない。

伝道する側も危険が伴う。終わりの時なので、以前のように安全ではない時代となっています。


このことを教えているのは、米国のキム・アラン・ジョンソン牧師です。しかもその本を私たちは持っていました。たまたま遠方からのクリスチャン仲間がうちに宿泊し、本を紹介しました。

でも、私たちはその英文を全部読んでいませんでした(3冊もあります)。彼は家に帰って、ネット検索で見つけすぐに私たちにその記事をシェアしてくれました。


神は、すでに私たちに備えてくださっていた、でも聖霊によってこうして理解できました!!

この情報はイベントや地域の活動をするクリスチャンにとって、本当に重要な情報と思います。

以前も書いた通り、私にとって動機は神への奉仕、主を賛美すること、栄光のため、なのですが、

やはりこう言った確証となる言葉が欲しかった。以下に書かれています。(英文ですが、画面の上部

を日本語に切り替えてください)。



友人からの訳文を少しシェアします。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


「伝道」と「証し」という言葉を私たちの語彙から削除しよう


キム・アラン・ジョンソン

2019年7月5日

分析記事



「伝道(evangelism)」や「証し(witnessing)」という言葉は、あまりにも歪められてしまったため、もはや捨て去るべき時が来ている。これらの言葉は、多くの人に不安、恐れ、罪悪感を引き起こし、もはや有益ではなくなっている。

多くの場合、これらの言葉は、汗ばんだ手で見知らぬ家のドアを叩き、「聖書研究をしませんか」と尋ねる姿を連想させる。また、情熱的な伝道者が28の基本信条を説教する姿と同一視されることも多い。本来は広がりのある主題であるべきものが、ひどく偏り、狭められ、窮屈なものになってしまった。


もちろん、私はアウトリーチ(宣教活動)をやめるべきだと言っているのではない。決してそうではない。ただ、「伝道」や「証し」という言葉が、それを表すのにもう役に立たなくなっていると言っているのである。


・・・・・


霊的関心ラインの考え方


地域の人々は、それぞれ異なる霊的関心の段階にいる。ここでは0から100までの範囲を想定してみよう。

• 0〜94:心の中で霊的関心は育ちつつあるかもしれないが、まだ神を必要としているという自覚はない。

• 95:人生において何かもっと深いものを求める内なる渇望を感じ、霊的導きや指針を探し始める。

• 100:個人的救い主としてキリストを受け入れた状態。


この定義を踏まえると、聖書により近い考え方へと導く、いくつかの重要な教訓が見えてくる。


教訓1


私は霊的関心を生み出すことはできない。それは命を生み出すことができないのと同じである。どちらも完全に聖霊の働きに属する。


教訓2


人々をそのライン上で前進させるのは聖霊である。

聖霊は、信者たちが自分の影響圏にいる人々に示す愛と親切を通して働かれる。


私たちの愛の行為が関心を生み出すのではない。それは、陶工が粘土を用いて美しい作品を作るように、聖霊が用いられる素材なのである。


(教訓8まであります。)


今日、人々は情報の洪水の中で溺れている。

その中で際立つのは、常識外れのほどの愛である。


情報型伝道は、95以上の人々にとっては有用な手段であり続けるだろう。しかし、それは地域社会の準備状況に応じて戦略的に用いられるべきであり、教会の使命の中心であってはならない。


私たちのアウトリーチは、はるかに関係性を重視し、人々の実際の必要に寄り添う働きに焦点を当てるべきである。特に、霊的関心ラインの1〜94にいる大多数の人々を優先すべきである。


北米の私たちの教会は、情報を伝えることには長けているが、無条件に愛することには備えが不十分である。

地域の人びとにとって真に意味ある存在となるためには、地味で目立たない、思いやりと親切の働きが高く評価される必要がある。


しかし、什一やバプテスマの数が、牧師の報告における成功の尺度であり続ける限り、このような劇的な変化は起こらないだろう。


聖霊が人々の霊的関心を高めるために効果的に用いることができる愛とは、見返りの期待も交換条件も隠された動機もない愛である。

それが真に教会文化の中心となるとき、私たちはキリストの世界を変える



アーメン‼️


アクセスありがとうございます。

祝福と憐れみがありますように。















コメント


bottom of page