聖霊とは誰か⁉️(1)
- hosanaministry

- 8月9日
- 読了時間: 13分

これまでの研究でわかったことは、三位一体論が心霊術に属するということでした。
いろいろ読んでいくと、本当に教会で教えられていることを鵜呑みにするなら、背筋がぞっとします。私たちの精神や信念が汚されると私は受け取っています。三位一体論を受け入れなければすでに心霊術に侵されているということにならないでしょうか。本当にサタンのやり方は実に巧妙です。
さて、私は聖霊について知りたいです。
asitreads.com には、聖霊について非常に詳しく書かれています。
3つのページに聖霊について掲載されていますが、かなりの量です。見出しをクリックすると英文ページに飛びます。ブラウザで翻訳できると思います。ブラウザ翻訳では翻訳がおかしいところもありますが、そのような時は、原文にもどっておかしな部分だけコピーしてGoogle翻訳かDeepl翻訳にてペーストしてください。以下はページの見出しとその説明です。
『創世記1章1-2節にはこう記されています。
「初めに神は天と地を創造された。[2] 地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊(ストロングのH7307 Ruwach)が水のおもてをおおっていた。」
多くの人は、聖霊は父なる神とその子である神とは似ても似つかない、別個の、個性的な存在であると信じています。その理由は、聖書が聖霊を「彼」と呼び、「人格」のすべての属性を示し、実在の人間が行うようなことを行っているとされているからです。そして、この理解に基づいて、多くの人は、創造の記述に記録されている「水の面を動いていた」神の霊を、別個の、形のない、個性的な神であると考えています。
しかし、聖書が意味する「霊」とは実際には、何であるかを少し考えてみたいと思います。
ストロングの聖書コンコーダンスでヘブライ語の「霊」を調べると、風、息、心、霊魂(ストロングH7307 ”ルワチ”)と記されています。』
✅ ストロングの聖書コンコーダンス Bible Hub(バイブル・ハブ)
ご存知と思いますがバイブルハブは、コンコーダンスや聖句の注解書を集めたものです。以下はバイブルハブのストロングコンコーダンスからのコピーです。

✅ちなみに、Google翻訳機能で、英単語”Spirit”を入力し、翻訳をヘブライ語にすると、出てきました(”רוּחַ”)。EGホワイトのページにもストロングのコンコーダンスはありますが、ヘブライ語のアルファベットなのでわかりにくいです。それに言葉に限りがありました。

『「そして、死に倒れた旗手たちは、その著作の再版を通して声を上げなければならない。こうして彼らの声は聞かれるようにと、わたしは指示されている。彼らは、この時代における真実とは何かについて、自らの証を述べるのだ。」— エレン・G・ホワイト、『作家と編集者への助言』{CW 32.1}
免責事項:これらの記述または記事は歴史的参考資料としてのみ提供されており、必ずしもAS IT READSの信条を反映するものではありません。』
聖霊に関する様々な出版記事
以下の記事はライアン・タックリンによって編集され、日付順に並べられています。
英文ビデオもたくさんYoutubeにありますが、どのようにまとめればいいか、よくわかりません😆🤔 私自身の学びで興味深かった部分や、重要と思う部分をシェアしたいと思います。もっと知りたい方は、上記のページへ行かれてリサーチされると自身の力になるのでは、と思います。
前置きが長くなって申し訳ありません。いろいろ調べてみましたが、ブログで網羅できる量ではありません。聖霊について調べるには、かなりの量になります。イエスについての記事もあります。こちらも同様、放っておくわけにはいきませんので、
この三位一体に関する一連の内容は、非常に重要なので、Webサイトにページを作った方がよいかと考えています。ここには書けるだけ残しておこうと思います。
聖霊とは誰か、のページに書かれているのは以下の三つです。今日のブログは、1. のみです。
聖霊とは神の息であり〜
聖霊:神の偏在〜
霊は心
1. 「聖霊」とは神の息であり、神の語られる言葉であり、創造力と命を与える力です。
ここでは、以下の事柄を検証します。
神の息、
神の言葉、
創造力と命を与える力
神の霊は破壊も関係しています。
神の霊が引き起こす破壊
「主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。(H5397 nĕshamah)。そこで人は生きた者となった。」(創世記2:7)
「もろもろの天は主のみことばによって造られ、天の万軍は主の口の息によって造られた。(H7307 ruwach)。(詩篇33:6)
「主が仰せられると、そのようになり、命じられると、堅く立ったからである。」(詩篇33:9)
☑️以下と比較してください。ーーーーー
「彼はその力で海を分け、その理解によって高慢な者を襲う。13 彼の霊(Strong's H7307 ruwach)によって、彼は天を飾り、彼の手は曲がった蛇を形成した。」(ヨブ記26:12-13)(NIV)
*「彼はその力をもって海を静め、/その知恵をもってラハブを打ち砕き、
13 その息をもって天を晴れわたらせ、/その手をもって逃げるへびを突き通される。」(口語訳)
「神の霊(ruwach)はわたしを造り、/全能者の息(H5397 nĕshamah)はわたしを生かす。」(ヨブ33:4)
「あなたが霊を送られると、彼らは造られる。あなたは地のおもてを新たにされる。(詩篇104:30)
ーーーーーーー
私たちはここで、天が作られたのは「主の口の息吹」によって作られたと言われていますが、それでも聖書は神の霊が同じことをしたことを同義に説明しています。詩篇33:6で言及されている「主の口の息」は、創世記1:2、ヨブ33:4、詩篇104:30の「霊」と訳されるのとまったく同じ言葉であることに注意してください。
同様に、私たちはイエスの霊が弟子たちに「息を吹き」たときに彼から出ているのを見ます。
「そう言って、彼らに息を吹きかけて仰せになった、『聖霊を受けよ』と言われました。」ヨハネ20:22
創世記1:2の「水のおもてをおおっていた」(”the Spirit of God moved upon the face of the waters) という言葉は、揺れ、動く、 flutterと表現されています(ストロングのH7363 Rachaph; raw-khaf)。
ヘブライ人への手紙12:26「あの時には、御声が地を震わせた。しかし今は、約束して言われた、「わたしはもう一度、地ばかりでなく天をも震わそう」。
人の霊は、その人が話す言葉によって現れます。
「あなたはだれの助けによって言葉をだしたのか。あなたから出たのはだれの霊なのか。」(ヨブ26:4)
「神がおつかわしになったかたは、神の言葉を語る。神は聖霊を限りなく賜うからである。」(ヨハネ3:34)
「人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。」ヨハネ6:63
イエスは、彼の言葉は霊と命の2つのものであり、この霊と命は彼の言葉にあると明確に教えました。言葉は私たちの考え/心を表現します。神の言葉は神の心を表現している。
「わたしの戒めに心をとめよ、見よ、わたしは自分の思いを、あなたがたに告げ、わたしの言葉を、あなたがたに知らせる。」(箴言1:23)
『もし彼らが来て、忠実に彼の旗の下に立つなら、主はこれらの貧しい魂を取り去ります。「わたしは新しい心をあなたがたに与え、新しい霊をあなたがたの内に授け、あなたがたの肉から、石の心を除いて、肉の心を与える。」[エゼキエル36:26。] これは真の探求者の魂への神の神の息吹です。神はあなたに彼の癒しの力を与えるでしょう。私たちは彼を頼りにします。なぜなら、彼は私たちの偉大な身体と魂の偉大な医師だからです。」』{Lt74b-1897.5}
「心と体と魂を神にささげる者は誰でも体力と知力の新しい賜物をたえず受けるであろう。天の尽きることのない補給は彼らの思いのままに与えられる。キリストは彼らにご自身の霊の息吹、すなわちご自身の命をお与えになる。聖霊は心と思いに働くためにその最高の能力をそそがれる。神の恵みは彼らの能力を幾倍にも大きくし、神の性質のあらゆる完全さが救霊の働きにおいて彼らの助けとして与えられる。キリストとの協力によって、彼らはキリストのうちにあって完全であり、人間的な弱さのうちにあっても全能者の行為をなすことができる。。」(「各時代の希望」第86章、1114.2p)
「真理が心に入り込んだすべての魂は、暗闇の勢力との戦いを繰り広げ、キリストの道を進むごとに一歩ずつ戦わなければならない。改心した者は、他の家族同様、かつて世俗的で自己中心的で、神から与えられた才能を奉仕のために用いることを怠っていた家庭で生活しているかもしれません。しかし、彼が罪を自覚し改心すると、その才能を正義のために用いるようになり、神の霊、命の息吹で満たされます。衝突と対立がしばしば生じます。」 {Ms169-1903(1903年10月12日)第26段落}
「力や権力によってではなく、わたしの霊によってである」と万軍の主は言われる。人間がサタンの勢力に打ち勝つことができるのは、この方法によるのみである。神の助けなしに、人間の力や強さは、人々の魂に正しい印象を与える風のような力しか持たない。神の息が魂に吹き込まれる前に、その魂は力に満たされることはない。{CentralAdvance 1903年4月8日、記事B、段落4}
「真理は、その働きにおいて精錬し、清め、聖別する。真理を信じる者は、低圧で働く蒸気機関のようなものではなくなる。神の息、聖霊が、働き手に臨む。」{Lt209-1899.14}
エゼキエル37章の枯れた骨について、エレン・ホワイトは次のように述べています:
「命を吹き込むのは人間のエージェントではありません。イスラエルの神、主が、その役割を果たし、死んだ霊的な性質を活動的に蘇らせる。主の軍勢の息が、死んだ身体に宿らなければならない。審判の時に、すべての秘密が明らかにされる時、神の声が人間の代理者を通して語り、眠った良心を覚醒させ、死んだ能力を刺激し、罪人を悔い改めと悲嘆に導き、罪を捨てさせることを知るだろう。その時、人間的な媒介者を通じてイエス・キリストへの信仰が魂に与えられ、罪と過ちの中で死んでいた者に天からの霊的な命が吹き込まれ、霊的な命で蘇らせられたことが、はっきりと示されるでしょう。」{RH 1893年1月17日、第7段落}
「しかし、この乾いた骨の喩えは、この世に当てはまるだけでなく、大いなる光に恵まれた人々にも当てはまります。彼らもまた、谷底の骸骨のようです。彼らは人間の形、体の骨格を持っていますが、霊的な命を持っていません。しかし、このたとえ話は、乾いた骨が単に人間の形に組み合わさったままで終わるわけではありません。四肢や顔立ちが均整が取れているだけでは十分ではないからです。命の息吹が体に命を与え、それらがまっすぐに立ち、活動を開始できるようにしなければなりません。これらの骨はイスラエルの家、神の教会を表しており、教会の希望は聖霊の命を与える影響力です。主は乾いた骨に息を吹きかけ、それらが生き返らせなければなりません。」{RH 1893年1月17日、第8節}
「神の霊は、その命を与える力によって、すべての人間の中に宿っていなければなりません。そうすることで、すべての霊的な筋肉と腱が鍛えられるのです。聖霊なくして、神の息吹なくして、良心は麻痺し、霊的な命を失います。霊的な命を持たない多くの人は教会の記録に名前が記されていても、小羊のいのちの書には記されていません。彼らは教会に所属していても、主と一つになっていません。彼らは特定の義務を熱心に果たし、生きている人とみなされているかもしれませんが、多くの人は「生きているという名を持ちながら、死んでいる」人たちです。魂が真に神に回心していない限り、神の息吹が魂を霊的な命へと活気づけていない限り、真理を告白する人々が天から与えられた原理によって動かされていない限り、彼らは永遠に生き、永遠にとどまる不朽の種から生まれていません。彼らがキリストの義を唯一の保証として信頼していない限り、彼らがキリストの品性に倣い、キリストの霊の中で働かない限り、彼らは裸であり、キリストの義の衣を着ていません。死者はしばしば生きている者とみなされます。救いと称するものを自分の考えに従って追い求めている者たちには、神が彼らのうちに働いて、神の喜ばれることを望み行なわせてくださっていないからである。」{RH 1893年1月17日、第9節}
【結論】
したがって、ここで私たちが目撃しているのは、創世記1章2節で「水の面の上を動いていた」と記述される「神の霊」 (創世記1:2)は、三位一体論者が主張するように「聖霊なる神」という別の個別の神の存在ではなく、実際は神の神の息/霊であり、アダムとエバに命を与えた同じ息/霊であり、地を揺るがし、世界を生み出した命令を下したものです。
さらに、私たちが言葉を口にする時、私たちはどの霊を持っているかを示しています。私たちは、世の霊か、神の霊かのどちらかです。神の言葉が語られる時、その言葉は「霊」であり、それを信じ受け入れる者にとって「命」です。
⚫️神の霊が引き起こす破壊について。
「主は天から雷をとどろかせ、/いと高き者は声を出された。
15 彼はまた矢を放って彼らを散らし、/いなずまを放って彼らを撃ち破られた。
16 主のとがめと、その鼻のいぶき(ルワチ、ネシャマ)とによって、/海の底はあらわれ、/世界の基が、あらわになった。」
(2サム22:14-16)
「彼らは神のいぶきによって滅び、/その怒りの息によって消えうせる。」(ヨブ4:9)
黙示録の中で、再臨の際に悪人に何が起こるかに注目してください。
「20 しかし、獣は捕えられ、また、この獣の前でしるしを行って、獣の刻印を受けた者とその像を拝む者とを惑わしたにせ預言者も、獣と共に捕えられた。そして、この両者とも、生きながら、硫黄の燃えている火の池に投げ込まれた。
21 それ以外の者たちは、馬に乗っておられるかたの口から出るつるぎで切り殺され、その肉を、すべての鳥が飽きるまで食べた。」 (黙示録 19:20-21)
パウロの同じ箇所で、この「剣」が何であるかが分かります。
「その時になると、不法の者が現れる。この者を、主イエスは口の息をもって殺し、来臨の輝きによって滅ぼすであろう。。」(テサロニケ人への手紙二 2:8)
さて、ホワイト姉妹がこれを神の霊であると明確に示していることに注目してください。
『「わたしは悔改めのために、水でおまえたちにバプテスマを授けている。しかし、わたしのあとから来る人はわたしよりも力のあるかたで、わたしはそのくつをぬがせてあげる値うちもない。このかたは、聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるであろう」とヨハネは言った(マタイ3:11)。
預言者イザヤは、神が「審判の霊と滅亡の霊とをもって」ご自分の民を不義からきよめられると宣言した。イスラエルに対する神のみことばは、「わたしはまた、わが手をあなたに向け、あなたのかすを灰汁(あく)で溶かすように溶かし去り、あなたの混ざり物をすべて取り除く」であった(イザヤ4:4、1: 25)。罪にとって、それがどこにみいだされようと、「わたしたちの神は、実に、焼きつくす火である」(ヘブル12:29)。神のみたまは、その力に服するすべての者のうちにあって、罪を焼きつくす。しかしもし人が罪に執着するなら、その人は罪と一体となる。そのとき罪を滅ぼす神の栄光は、当然その人も滅ぼしてしまうのである。ヤコブは、天使と一晩格闘したあとで、「わたしは顔と顔をあわせて神を見たが、なお生きている」と叫んだ(創世記32:30)。ヤコブはエサウに対する行為において大きな罪を犯した。だが彼は悔い改めていた。彼の罪とがはゆるされ、その罪はきよめられた。だから彼は神のこ臨在のあらわれに耐えることができたのである。しかし人が故意に罪を心に宿していながら神の前に出た時、その人はかならず滅ぼされた。キリスト再臨のときに、悪人は主イエスの「口の息をもって」殺され、「来臨の輝きによって」滅ぼされる(Ⅱテサロニケ2:8)。神の栄光の光は、義人にはいのちを与えるが、悪人を滅ぼすのである。』{DA 各時代の希望、第10章、715.7}
上記のように、聖霊がどのように罪を滅ぼすか、そして私たちが罪に執着するならば、神の栄光(聖霊)が私たちを滅ぼすかが分かります。「主は御口の霊によって滅ぼし、御来臨の輝きによって滅ぼされる」(テサロニケ人への手紙二 2章8節)。
次回、2.~3. を取り扱います。
アーメン!!
アクセスありがとうございます。
祝福と憐れみがありますように。




コメント