エレン・ホワイトの終末の警告‼️SDA教会を去るのは誰か?
- hosanaministry

- 10月4日
- 読了時間: 13分

エレン・ホワイトは、終わりの日にセブンスデー・アドベンチスト教会内で起こる大いなる「ふるい」について、厳粛な警告を発しました。すべてのアドベンチストが忠実であり続けるわけではありません。最終的な試練が訪れた時、多くの人々が揺さぶられて離れていく一方で、他の教会員は神の言葉と戒めに堅く立つでしょう。
(1)エレン・ホワイトがSDA教会を離れると述べた人々とは誰か。
(2)なぜこの揺さぶりによって真の信者と偽りの信者が分けられるのか。
(3)最後の大試練が来た時にいかにして忠実であり続けるか。
(4)聖書と預言の霊がこの終わりの時の出来事について明らかにしていること。
これはすべてのアドベンチストが聞くべきメッセージです。あなたは立ち続けるのか、それともふるいにふるわれて離れていくのでしょうか?
(Advent Hope Animation, アドベント・ホープ・アニメーション)
(1)エレン・ホワイトがSDA教会を離れると述べた人々とは誰か。
『教会に対して厳粛に宣言します。教会名簿に登録されている者のうち、二十人に一人たりとも、この世の生涯を終える準備ができておらず、世の罪人と同様に神もなく希望もない者である。
教会には分裂が生じます。二つの派閥が形成される。麦と毒麦は収穫の時まで共に育つ。ダタンとアビラムの反逆の歴史は繰り返され、時の終わりまで繰り返される。主の側に立つ者は誰か? 誰が惑わされ、やがて自らも惑わす者となるのか?』
私がEGホワイトの書籍を読み出して、当時、最も印象に残った言葉はこの20人に一人も残らない、というフレーズでした。これをたまたま米国本土から来ていたA牧師に話すと、「あまりそのことは口にしないほうがいい」と言われたのを記憶しています。私たちがハワイ在住していた時の話です。今思うと、以前の日本カンファレンスと同じこといってますね。この人は、A牧師は、ハワイ総理までやった人だったのですが・・・情けなかったです。
この時から、やはりそうか・・・と、あまり驚きませんでした。アドベンチスト教会に通うようになって、聖書とあかしのふみの言っていることと教会のあり方について、私自身違和感を覚えていましたし、彼らが自分たちのことばかりで、他の魂を救う伝道についても興味がない人が多かった。(当時の担当B牧師にそのことを聞くと、答えは、「キリストの方法でしか成功しないから」でした。)
ある日、日本から有名な演歌歌手か来るから、と安息日に親戚一同教会を休んでコンサートに行くような人々がいました(その日、教会の出席者のうち半分がごっそりコンサートへ)。もう20年も前の話で、その多くは今は亡くなっています。私たちがハワイを離れた後、ハワイカンファレンスの指導により、その日本人B牧師が辞めさせられました。ついに、日本語教会もなくなり、英語部と合同になりました。残念でした。私が教会へ行くようになった時、素晴らしい長老たちが存命していましたが、高齢だったため次々となくなり、出席者も毎回、40-50名ほどいましたが、あっという間に減少しました。長老たちが一人ずつ亡くなると、変な人が指導者となり、それから傾き始めたのを覚えています。この私の体験からでも、すでにその兆候は見えています。
コラ、ダタンとアビラムについてですが、聖書には、4箇所で言及されています。要点はモーセとアロンの指導権に反対したレビ人たちで、家族もろとも地に飲み込まれました。変な人は、自分が長老に選ばれなかったことを根にもち、B牧師の前にいた、素晴らしい働きをされていたC牧師を陥れ、C牧師を日本に戻らざるをえなくした人物でした。またB牧師は変な人に騙され、迎合していたので、彼自身も職を失うというショックな結果となりました。(その後、別の島の教会に職を得られましたが。神の憐れみですね。悔い改めと祈りをされたのでしょう。)
民数記 16章1-35節
民数記 26章7-11節
申命記 11章6節
詩篇 106篇17節
ハワイの人々は、担当牧師が突然解雇となり、当然、聖書の事件のように、あからさまな意思表示とかではありませんでしたが、無知も含まれると思いますし、人それぞれ信仰の温度も違います。しかし彼らのケースは、A牧師が選んだ、愚かな指導者によるもので、自分の権力欲のみに固執した結果でした。A牧師も尽力されましたが、もう、手遅れだったのです。私と、もう一人の関係者はわかっていました。牧師は私たちの警告を無視されました。二つの派閥をもって教会が存続するどころか、教会自体がなくなってしまったのです。聖霊はそこに留まることができなかったのですね。
『迫害がないため、彼らは我々の仲間入りをしてしまった。一見健全で、キリスト教徒としての疑いようのない者たちだ。しかし迫害が起きたなら、彼らは我々のもとを去るだろう。試練がすべての魂に訪れる時は遠くない。獣の刻印が我々に押し付けられるのだ。世俗の要求に一歩ずつ屈し、世俗の慣習に順応してきた者たちにとって、嘲笑や侮辱、投獄や死の脅威に晒されるよりは、現存する権力に屈服することは難しくない。争いは神の戒めと人の戒めとの間にある。この時、教会内の山羊は屑の中から分けられる。神の律法が無効にされるとき、教会は火のような試練によってふるいにかけられ、我々が今予想するよりも多くの者が、惑わす霊と悪魔の教えに耳を傾けるだろう。
真理に関して知恵を得る特権と機会を与えられながら、それでもなお神の成し遂げようとされる働きに
逆らう者は、排除されるであろう。神は、関心が二分された者の奉仕を決して受け入れないからである。』
確かに、今の世代は、迫害がないために、好き勝手に行動します。あのハワイの離れて行った人々は、試練があるなら即、離れる人々に加えられたことでしょう。妥協して楽に暮らした方が楽しいからです。現代の真理を理解しない人の結末は、何と残念なことでしょうか。日本の教会も同様、太陽崇拝、悪魔崇拝から来ているクリスマスやイースター祭を行うある牧師夫人の、何と無知なことか。排除される予定の人々は、わかっていない。表面では良いことをしているように見えることが多くありますが、残念ながら、真理はそこにはありません。
(2)なぜこの揺さぶりによって真の信者と偽りの信者が分けられるのか。
来たる、試練の時は、
『現代においても、かつて真理に喜びを見出した家族全体が存在し続けており、これからも存在し続けるだろう。しかし彼らは、かつて愛し、心温まる助言を交わした者たちについて、誹謗中傷や虚偽がもたらされることで信仰を失うだろう。彼らは涙の種を蒔くために心を開いた。
涙は雑草の中に湧き出た。それは小麦の収穫を強めたが、次第に減少し、貴重な真理は彼らにとって力を失った。いわゆる科学と宗教は互いに対立する立場に置かれるだろう(伝道)。有限なる人間は神の力と偉大さを理解できないからだ。偽りの理論が導入されることで揺さぶりが来ると、どこにも根を下ろさないこれらの表面的な読者は流動砂のようだ。彼らは自らの苦い感情の調子に合わせるためならどんな立場にも滑り込む。』
考えてみてください。すでに試練の時を、私たちは体験しました。それはコロナワクチンの件です。このことから学ばない人は多い。教団の声明を読んでも、私は、ワクチンのことを当時、パソコンで調べ上げ、危険なものであることがわかっていたので、教団の言いなりにはならなかった。ハワイの友人にも伝えたので、彼女も打ちませんでした。しかし別の友人は、医者や牧師を信じたため、私が伝えても、ワクチンを二度も打ってしまい、1年後に亡くなってしまいました。後でハワイの友人に聞いたのですが、彼女の日本にいる親族に伝えたそうなのですが、一回の接種で、二人の人が盲人になってしまったそうです。
第一次大戦のドイツのカンファレンスでも、同様の良心の自由は、見えない圧力、権威主義によって、潰されました。日本のメディアは今だに、煽っています。このような、真理を見分けることができないために、偽りの理論が来ると、牧師や指導者の言いなりになるので、確信が持つことができず、信仰が根付きません。
3)最後の大試練が来た時にいかにして忠実であり続けるか。
『敵は偽りの教理をもたらすだろう。聖所など存在しないという教義のようにこれが信仰からの離反が生じる点の一つである真理への愛を受け入れなかった者たちは敵の惑わしに陥るだろう。彼らは誘惑する霊と悪魔の教理に耳を傾け信仰から離れるだろう。一つ確かなことがあるサタンの旗の下に立つ安息日再臨派の者たちはまず神の霊の証しに含まれる警告と戒めへの信仰を放棄するだろう。神の民が証しへの信仰を弱めることがサタンの計画である。次に続くのは、私たちの信仰の要点、私たちの立場の支柱に対する懐疑心、そして聖書への疑念、そして堕落への下降行進である。かつて信じられていた証言が疑われ、放棄されると、サタンは欺かれた者たちがここで止まらないことを知り、彼らが治癒不能な公然たる反逆へと突き進むまで努力を重ね、ついに滅びに至る。』
以前のブログに書きましたが、偽りの教理は、三位一体です!! ある人物(フルーム)によって巧みに教理にもたらされました。https://www.hosanaministry.com/post/危うい教理、三位一体
神の民は、サタンの告訴に対し、それが偽りであることを示すよう求められています。なぜなら、神の民の信仰が弱められることが彼らの計画だからです。真理への愛がない者はふるわれます。つまり敵の惑わしに騙されるのです。妥協や、迎合といった言葉がありますが、自分の弱さを隠すためにその通りになるでしょう。
「神の霊の証しに含まれる警告と戒めへの信仰を放棄する」のです。
現在の実態は、すべての牧師も、教会員も、三位一体説を取り入れて、洗脳されてしまいました‼️
この分野ではサタンは成功しているかもしれませんが、それは、救いには直接関係あるわけではありません。しかし懐疑心には影響するかもしれませんし、「完全になりなさい」と命じられるイエスには通用しないでしょう。気をつけてください。
『我々がその輝きに憧れた星の多くはやがて闇に消え去るだろう。多くの人々がキリストと一つでないこと、この世に負債を負っていること、キリストと共に生きるためにそして頻繁に起こるであろうのは、責任ある地位に就いていた者たちの背教である。神が深く栄誉を与えた者たちが、この地上の歴史の終盤において古代イスラエルを模倣するだろう。キリストが教えの中で示した偉大な原則からの離反。ルシファーの歪んだ働きのもとで、聖書を用いて誤った行動方針を正当化し、人間の計画を実行に移すことが、人々の誤解を確固たるものにするだろう。』
『そして彼らが守るべき真理は誤った行いから彼らを守るために漏れた器から水が漏れるように
魂から漏れ出るだろう。多くの人々が偽りの預言の松明を手に私たちの説教壇に立ちサタンの地獄の松明から点火されたもの。牧師や教師たちは信仰から離れよう聖書が宣言するように、神が御使いに与えたメッセージが宣言するように目前に迫った重大な試練は神が任命されなかった者たちをふるい落とし、神は後期の支配のために純粋で真実な聖別された奉仕者を備えさせるであろう。』
(4)聖書と預言の霊がこの終わりの時の出来事について明らかにしていること。
『嵐が近づくにつれ第三の天使のメッセージへの信仰を公言しながらも、真理への従順によって聖別されなかった大勢の者が自らの立場を放棄し、反対派の陣営に加わる。神の揺さぶりは、無数の者たちを枯れ葉のように吹き飛ばす。まもなく神の民は火のような試練によって試みられ、今や本物で真実に見える者の大部分が卑金属であることが証明される。』
『教会は倒れそうに見えるかもしれないが、倒れない。それは残るが、シオンの罪人たちはふるい分けられ貴重な麦から毒麦が分離される。これは恐るべき試練だが、それでも必ず起こる。反対が起きよう。偏狭と不寛容が再びはびこるであろう。迫害が燃え上がろう。中途半端で偽善的な者は揺らぎ信仰を捨てるだろう。しかし真のクリスチャンは岩のように堅く立ちその信仰はより強く、その希望は繁栄の時代よりも輝くだろう。」
「迫害が起こるたびに証人たちは決断を下すキリストに味方するか、それとも敵対するか。不当に非難された者たちに同情を示し、彼らに対して恨みを抱かない者こそが、キリストへの愛着を示す。幾人かは道半ばで揺らぎ、置き去りにされた。勝利と救いを十分に尊び執拗に懇願し苦闘する者たちに加わらず無頓着で無関心な者たちはそれを得られなかった。そして彼らは闇の中に置き去りにされた。』
『そして彼らの場所は、真理を掴み隊列に加わる者たちによって即座に埋め尽くされた。崩れた隊列は、キリストが表すように11時になって入ってくる者たちによって補充される。神の霊が戦いを続けている者たちは数多い。神の破壊的な裁きの時は、今や真理を知る機会を持たない者たちにとっての憐れみの時である。主の軍勢から次々と部隊が敵に合流し、敵の陣営から部族が次々と神の戒めを守る民と結ばれるにつれ、旗印は次々と塵の中に引きずられていった。キリストの宗教が最も軽蔑され、その律法が最も侮られる時こそ、私たちの熱意は最も燃え上がり、勇気と確固たる意志は最も揺るぎないものでなければならない。大多数が私たちを見捨てる時、真実と正義を守るために立ち、勇士が少ない時に主の戦いを戦うのだ。これが私たちの試練となる。この時こそ、我々は他者の冷たさから温もりを、彼らの臆病さから勇気を、彼らの裏切りから忠誠を汲み取らねばならない。』
ふるいがやってきます。迫害、偽りの教理、背教、反対、偏狭、不寛容がおこる時、麦と毒麦はわけられます。終わりの時、キリストの旗のもと、去る者がいれば、隊列に加わる者がいる。
「キリストの宗教が最も軽蔑され、その律法が最も侮られる時こそ、私たちの熱意は最も燃え上がり、勇気と確固たる意志は最も揺るぎないものでなければならない。大多数が私たちを見捨てる時、真実と正義を守るために立ち、勇士が少ない時に主の戦いを戦うのだ。これが私たちの試練となる。この時こそ、我々は他者の冷たさから温もりを、彼らの臆病さから勇気を、彼らの裏切りから忠誠を汲み取らねばならない。」
サタンのもっとも嫌いなものは、勇気や確固たる意思、忠誠心といったキリストの品性です。
ここに書かれている内容はEGホワイトからのメッセージなので、読者の皆さんは、ご存知だと思います。
しかし、こうして預言を知っておくならば、必ず彼女はそこに対処方法も教えています。
命に至る真理を知ることは、キリストに出会うための、生きるか死ぬかの問題に対処することです。ですから、日々感情を逆なでするような問題が起こっても、それは小さな問題と捉えるようになります。
人が自分に何か不利なことを言ったり、嫌なことを言ったりしたとしても、それは、その人と神との関係のもとでの言動であるので、いずれ神が裁かれるのです。言い争いをせず、心穏やかに、現代の真理を学ぶことに神経を集中することは、世の終わりを生き残るために必要ではないでしょうか。
教会を去る者は、神がそうされるのではなくて、自らが決意して去るのです。それは自分が蒔いた種を刈り取ることに他なりません。そうならないように、最後まで忠誠を保つことができますようにお祈りします。
アーメン!!
アクセスありがとうございます。
祝福と憐れみがありますように。




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